こんにちは!
つらたんです!
突然ですが皆さん「八百屋お七」の話ってご存知ですか?
恐らく「お七」という名前は聞いたことがある方も多いと思います。
詳しいエピソードは記事内でご紹介しますが、実は今回ご紹介するお寺は、この「八百屋お七」と関係が深いお寺なんですよー( 'ω' )
そのお寺とは、目黒にある「大圓寺/だいえんじ」というお寺です!
前回の記事で、3月11日に「飛不動尊」を参拝したと書きましたが、こちらのお寺も同じ日に参拝してきました。
関連記事:はやぶさ御利益エピソードに力強い御朱印!台東区【飛不動尊】行ってみた!ぶらり寺社巡り
とは言え、大圓寺を参拝するのは、実は今回で3回目!
目黒不動尊に向かう途中にあるお寺なので、これまでもたまに参拝はしてたんですよねw
そこまで大きなお寺と言うわけではないですが、とにかく見どころが多くて、お寺にまつわるエピソードを頭に入れた上で参拝すると、
「ははーん、なるほど!」
てな具合に、参拝を一段と楽むことが出来ます!(^ω^)
ですので、今回はその辺りのエピソードを含め、大圓寺について詳しく書いていきたいと思います!
目次
1. 御由緒
大圓寺の創建は元和年間(1615年~1624年)、山形にある出羽三山のひとつ、湯殿山の行者「大海法印/だいかいほういん」がこの地で修業を始め、大日如来堂を建てたのがはじまりとのこと。
御本尊は釈迦如来、また、山の手七福神巡りの「大黒天」を祀るお寺でもあります。
国や都指定の重要文化財を数多く収蔵しているお寺で、場所が江戸城の裏鬼門にあたるため「江戸城裏鬼門 鎮守」のお寺とされており、裏鬼門鎮守のために比叡山から「三面大黒天」を勧請したんだそうです。
2. 八百屋お七と大圓寺
さて、こちらのお寺。
冒頭でも書いた、かの有名な「八百屋お七」と関係があるお寺でもあります。
八百屋お七のエピソードをおさらいするとこんな感じ。
天和の大火(1682年)によって家を焼け出され、お寺で家族と避難生活を送っていた八百屋の娘「お七」。 お七はそのお寺で出会った寺小姓(お寺で雑用をしていた少年):吉三と恋に落ちます。 その後、自宅が再建されると、2人は離れ離れに。 吉三に会えず、日に日に想いを募らせたお七はあろうことか、 「また自宅が火事になれば、吉三さんに会えるわ!ウフフ」 と、危ない考えを持ちはじめ、なんと実際に自宅を放火!w 自宅はボヤ程度で済んだものの、江戸時代の放火はめっちゃ重罪! その後お七は、かつて東京都品川区に存在した「鈴ヶ森刑場」で火あぶりの刑に処されました。 |
というもの。
きっと、逢いたくて逢いたくて震える感じだったんでしょうねw
恋のチカラって、昔から人を狂わせるんすねwww
で、どのように大圓寺と関係があるのかと言うと、
お七が火刑に処された後、恋仲だった吉三は名前を「西運」と改め、お七を弔うために出家。 かつて、大圓寺のすぐ下にあった「明王院」という寺院に身を寄せ、一晩ごとに念仏を唱えながら目黒不動と浅草観音の間の道(往復十里/約40kmほど)を歩き、一万日の行を成し遂げました。 一万日行を達成した後、西運の夢枕にお七が現れ、成仏したことを告げられます。 そして西運は「お七地蔵尊」を造り祀りました。 その後、西運が身を寄せた「明王院」は明治の廃仏毀釈によって廃寺になり、明王院に祀られていた仏像や「お七地蔵尊」は、現在大圓寺の境内にある「阿弥陀堂」に祀られています。 |
ということで、お七と吉三(西運)に縁のある明王院が、現在は大圓寺に合併された形になっていて、そこに二人が祀られているわけですね。
また、後ほど改めて書きますが、お寺を出て坂を下りきったところには「お七の井戸」という場所があり、西運が一万日行を行った際、身体を清めたと言われる井戸が今も残っていたりします。
てか、会いたさ余って放火しちゃうお七も一途だけど、出家した上に一万行を成し遂げちゃう西運もすげえ一途w
生まれ変わって、一緒になれているといいですね!(^ω^)
3. 明和の大火と大圓寺
さて、大圓寺にはもうひとつ縁のある事件があります。
そう、また火ですよ…(´・ω・`)
明暦の大火、文化の大火と並んで「江戸三大大火」のひとつに、明和9年(1772年)に起こった「明和の大火」があります。
お寺の前にある坂の名が「行人坂」ということから、別名「目黒行人坂大火」とも呼ばれる大火で、「目黒」から出火し「浅草」まで延焼したとのこと。
目黒と浅草は約20kmほど離れているので、かなり広範囲に及ぶ大惨事だったことが分かりますよね。
※青いポインタが目黒、赤いポインタが浅草
そして、この大火による死者は1万4700人、行方不明者は4000人超えという被害をもたらしました。
では、なんでこの大火と大圓寺が関係あるのか?
その理由はなんと!
大火の火元がこの「大圓寺」なんですわ!!(´°д°`)
しかも、大圓寺の坊主による放火が原因!!
最悪やんwwwww
火を点けたのは「真秀」と言う人物で、明和9年(1772年)に市中引き回しの上、小塚原刑場(東京都荒川区南千住)で火刑に処されたとのこと。
まーた火刑だよ…(´・ω・`)
その後、大圓寺はこの大火の原因という事で幕府から76年間再建が許されず、1848年(嘉永元年)になってやっと再建、現在に至るそうです。
一体「真秀」はどういう理由で放火に至ったんですかね?
お七と同じく、恋煩い?w
4. アクセス
さて、大圓寺へのアクセスですが「JR目黒駅」西口を出て、徒歩5分程度。
左手にある歩道橋を渡ると「行人坂」と呼ばれる細い坂があり、その坂の中腹あたりに大圓寺があります。
5. 行人坂
「明和の大火」でも少し触れた行人坂ですが、名前の由来は、大圓寺を開いた行人「大海法印」がこの地で修行を始め、次第に多くの行人が集まって住むようになったことが由来なんだそうです。
ここから20分ほど歩くと「目黒不動尊 瀧泉寺」に行けるのですが、かつては目黒不動への参詣の道として賑わっていたそうで、富士見(富士山が見える)の名所としても知られていたとのこと。
てか、上の錦絵は当時の行人坂の様子を描いたものだそうですが、
さすがに富士山、そんなに大きくは見えねえだろwwwww
遠近法とか完全無視w
もちろん今では富士山なんて見えませんw
行人坂はかなり勾配のきつい坂道で、その勾配はなんと15.6%!!
道路法で規定されている勾配は、致し方ない場合を除き「9%以下」と定められているので、いかに急な坂道かが分かると思います。
↓こちらがJR目黒駅からお寺に向かう下りの行人坂
↓こちらがお寺に向かう登りの行人坂
まあ、元々お寺や行者にまつわる道ですからねw
修験道的な意味合いもあったのかもですねw
6. 山門
さて、目黒駅から行人坂を降りていくと、左手に大安寺の「山門」が見えてきます。
写真からも坂の勾配具合が分かりますかね?( 'ω' )
僕が過去に参拝した時は参拝者が少なかったのですが、この日は3月11日だったからなのか、常に人がたくさん参拝されていました。
山門右手にある手水舎で清めて、早速本堂へ!
7. 本堂
こちらが大圓寺の「本堂」です!
この本堂、なんとなく江戸の風情を感じませんか?(^ω^)
平成2年に一度改修をしているものの、こちらの本堂は寛永元年(1624年)に再建された当時のものだそうです。
内部には、江戸裏鬼門鎮守のための「三面大黒天像」と、目黒区の文化財に指定されている「十一面観音像」がお祀りされているそうですよ。
8. 釈迦堂
本堂の左側には、こちらの「釈迦堂」があります。
こっちの建物はえらい現代的だなw
こちらには御本尊であり、国の重要文化財に指定されている「生身釈迦如来像」が安置されています。
なんでも昔は国宝だったんだとか。
この釈迦如来像は1193年(鎌倉時代)の作で、現在国宝に指定されている京都「清凉寺」に伝わる釈迦如来立像を模して造られたものとのこと。
「生身釈迦如来像」の「生身/しょうじん」とは、女性の髪の毛などが納められていることに由来しているそうです。
僕は見たことありませんが、大みそかやお正月、4月8日(花祭り)などに御開帳されるみたいですよ(^ω^)
9. 大圓寺石仏群
そして、大圓寺でとりわけ目を引くのがこちらの「石仏群」です!
この石仏群は、天明年間(1781年~1789年)の頃、大圓寺が火元となった「明和の大火」の犠牲者供養のために造られた石仏群で、
その数なんと520体!!
しゅ…しゅごい…(´°д°`)
石工が50年という歳月をかけて完成したと言われているんだそうです!
は…半世紀…!?
よーく見ると、ひとつひとつ顔や表情が違ってるんで、見てるとなかなか面白いw
また、一番中央の大きな仏様の表情がね、これまたいい顔されてるんですよ(^ω^)
めっちゃ優しそうですよね!(*´ω`)
なお、この石仏群の左側には、お地蔵様がたくさんおられました。
この大圓寺石仏群は「東京都指定有形文化財」に指定されています。
10. とろけ地蔵
石仏群の右手前には、こちらの「とろけ地蔵」があります。
これでもか!ってくらい溶けてる…(゚д゚ ; )
このお地蔵様は、江戸時代に漁師が海から引き上げたものだそうで、悩み事をとろけさせてくれるお地蔵様なんだとか。
いやしかし、見れば見るほど異形なカタチ…
恐らく波の浸食でこんなとろけた感じになってるんでしょうけど、僕にはこれ、お地蔵様に見えないんですよね。
後ろの光背とか、着衣の感じとか、なんか別の仏様だったんじゃないかと思うんだよなあ…( 'ω' )
11. 薬師如来像
そして本堂の右手前には、こちらのキラキラした「薬師如来像」があります。
最初見た時、
屋外なのに金の仏像!?Σ(゚д゚ ; )
って感じでしたが、どうやらこちらの薬師如来像、自分の体の悪い部分と同じ場所に金箔を貼って治癒を祈願するそうです。
てか、頭にも金箔貼られてるんですが、それは…( ゚д゚)
寺務所で金箔(3枚組み/500円)を購入することが出来ます。
12. 阿弥陀堂
本堂の左側にあるのが、明王院の仏像が移されたこちらの「阿弥陀堂」です。
最初のほうにも書きましたが、こちらが昔あった明王院というお寺の仏像が移されたお堂ですね!
こちらには、区の指定文化財となっている「木造阿弥陀如来三尊像」のほか、八百屋お七にまつわる「西運の木像」「お七地蔵尊」が祀られているそうですよ( ´ω` )
13. 八百屋お七・吉三の碑/良縁成就の摩尼車
そして、阿弥陀堂の前には「八百屋お七・吉三の碑」と「良縁成就の摩尼車/まにぐるま」がありました。
碑には、万日行を行う吉三(西運)の姿が刻まれており、その近くには「良縁成就の摩尼車」があります。
なんかここ、良縁成就のパワースポットと言われているみたいですねー。
因みに、摩尼車(まにぐるま)とは、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている仏教用具なのですが…
いわゆる「便利グッズ」?w
てか、摩尼車の大きな画像はね…
撮ったと思ってたんだけど、後で確認したらなかったんですよねー(´・ω・`)
うーん…消しちゃったのかなあ?(´-ω-`; )
なので、1枚目の画像(碑のすぐ左隣)に小さく摩尼車が写ってるんで、そちらを見てくださいw
しかし、なぜ悲劇であるお七の物語が「良縁成就」の御利益に繋がるのかがよく分からないんだよなあー(´Д`)
だって悲劇と言っても、お七の自業自得(犯罪)でしょ?
なんか後から悲恋話として美談化されちゃってる感じがして、なんか僕的にはちょっとムリヤリ感が否めないんだよなあ…
吉三(西運)の行いは素晴らしいと思いますけどw
14. 行人坂敷石造道供養碑・庚申塔
この供養碑の建立目的はよく分からなかったのですが、元禄16年(1703年)に西運が建てたとされる供養碑で、区の有形文化財に指定されているそうです。
また、いくつか庚申塔も建てられていました。
庚申塔とは、中国から伝来した道教に由来する「庚申信仰」に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申信仰というのは、庚申の日の夜、人の体内にいるとされる「三尸虫/サンシチュウ」という虫が這い出てきて、その人の悪事を天に報告されてしまう為、その日は寝ないで徹夜するという信仰のことですねw
「悪事をチクられたくないから、その日は寝ない」
という考え方のほうが、僕的にどうかと思いますけどねw
庚申塔と庚申信仰については、こちらの記事にもうちょっと詳しく書いています!(^ω^)
関連記事:300体の羅漢像が圧巻!目黒【五百羅漢寺】行ってみた!ぶらり寺社巡り
15. 目黒川架橋供養勢至菩薩石像
こちらは、山門を出て右手(門前)に安置されている「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」です。(名前が長いw)
行人坂を下っていくとその先には目黒川が流れており「太鼓橋」という橋が架かっています。
こちらが太鼓橋から見た目黒川です。
この菩薩像の銘文には「西運が万日行を行った際、道中で江戸市民からお布施をもらい、宝永元年(1704年)そのお金を元にして目黒川に橋を架けた」と刻まれているとのこと。
いやあ、この近辺はあらゆるものが、お七や西運に関係深いものばかりなんですねー(゚∀゚)
こちらの石像は「目黒区指定文化財」に指定されています。
16. その他仏像
大圓寺には紹介した仏像以外にも、まだ仏像がありますw
いやあ、そこまで境内広くないのに、よく置いたよね!って感じですw
なので、そちらも写真だけザックリ載せていきますw
17. 御朱印
さて、こちらが大圓寺で頂いた「御朱印」になります!
御本尊の「生身釈迦如来」と、山の手七福神「大黒天」の2種類の御朱印を頂く事が出来ます。
初穂料は、各300円でした。
18. 御朱印帳
また、大圓寺オリジナルの「御朱印帳」もありましたよー!(^ω^)
袋と小槌がデザインされているので、やっぱ「大黒天」をモチーフにしているみたいですね!(^ω^)
2種類の御朱印帳があるんですけど、サイズによって価格が違っていて、大きいほう(黄)が1,500円、小さいほう(黒)が1,200円でした。
19. お七の井戸
お寺での参拝を終え、最後に向かったのは、こちらの「お七の井戸」です。
この井戸はお寺の境内にあるわけではなく、お寺を出て行人坂を下りきると、左手にひっそりとこちらの「井戸」があります。
この井戸は西運が一万日行を行った際、身を清めたと言われる井戸ですね。
「江戸時代の女性名+井戸」
っていう組み合わせだと、四谷怪談とか番町皿屋敷とか思い浮かぶので、おどろおどろしいイメージを持ちがちですが、この井戸はぶっちゃけそういうのは関係ないですw
単順に、
「お七と恋仲だった吉三(西運)が、一万日行の際に使っていた」
というだけですので、誤解なさいませぬようw
てか、そもそも「お七の井戸」っていうネーミングが紛らわしいんだよなあw
以上、今回は目黒にある「大圓寺」をご紹介しました!
いやあ、なんだか波乱万丈なお寺でしたねw
お寺って放火されることはあっても、お寺が火元(しかも寺の人間による放火)とか想像もしませんでしたw
ある意味、レアな歴史を持つお寺でもありますよねw
ほら、歴史のあるお寺や神社って歴史が長い分、創建がハッキリしなかったり、なんで境内にあるのか分からないものって結構あるじゃないですか。
でもこちらのお寺は皮肉にも、その一風変わったエピソードのせいで、ほとんどがクリアなんですよねw
きちんと記録に残っている的なw
そこは評価して差し上げたいっ!(上からw)
大圓寺にまつわるエピソードはお世辞にもきれいなものとは言えませんが、お寺自体はすごく落ち着いていて穏やかな雰囲気です!(^ω^)
ほんと目黒駅の近くにあるとは思えないくらい!
大圓寺についてはもちろんのこと「行人坂」をはじめ「お七の井戸」や「太鼓橋」など、この記事で書いたことを知っているだけで充分参拝を楽しめると思います。
機会があれば、お七や西運、明和の大火など当時に思いを馳せながら、ゆっくり参拝してみてくださいね♪
ではまたー!
大圓寺
〒153-0064 東京都目黒区下目黒1丁目8-5
TEL:03-3491-2793
お七の井戸
〒153-0064 東京都目黒区下目黒1丁目8