こんにちは!
つらたんです。
いやあ、さっそく引いちゃいましたよ…(´・ω・`)
夏風邪!!w
この時期の風邪を「夏風邪」と言うべきなのかは分かりませんがw
エアコンがっつり掛けたまま寝てたらですねー、翌朝になって喉に違和感がw
その後、鼻水ずるずるしてきたんで、
あー、こりゃやっちまったなあ…(›´ω`‹ )
みたいなw
僕、毎年暑くなってくると、1度はエアコン風邪を引んですよねーw
なのに、そのことすっかり忘れて、今年もまた風邪っぴきにwwwww
成長しないというか、学ばないというか(^ω^;)
取りあえず市販薬でだいぶ治まって来たんですけど、最近暑さや湿気の多い日が続いてますんで、皆さんもどうかご注意くださいね(^ω^)
さて、今回は茨城県常陸太田市にある「東金砂神社/ひがしかなさじんじゃ」をご紹介したいと思います。
かなり長~い歴史もあるし、とある事では日本一を誇るお祭りが行われたりする神社なんですけど、その割に…
知名度があまり高くない神社( ºωº ; )
でもあるんですよねー。
もちろん近隣に住んでいれば知ってると思いますが(^ω^;)
僕的には由緒がある割に、イマイチ知られていない神社ってのが勿体ないなあ、って感じです。
こ…交通の便がクッソ悪いからかも?(´-ω-`; )
まあ、交通の便はさておき、自然も豊かですし、癒しをもらえる気持ち良さがある神社なので、観光神社ではない静かな神社が好きな方にはおすすめです(^ω^)
それでは、詳しく書いていきたいと思います!
1. 御由緒
東金砂神社は、東金砂山(標高490m)の山頂部に鎮座している神社で、
創建はなんと平安時代!!(`・ω・´)+
1200年以上前です!!
実はこちらの神社、「西金砂神社」という別の神社と谷を挟んで対になっており、どちらも延暦25年(806年)に創建された神社とのこと。
地方にある神社って、何気に長い歴史を持つ神社が多くて好きだわー♪
まあ、今回は時間がなくて西のほうは行けなかったんですけど…(^ω^;)
平城天皇の勅願を受けた「宝珠上人」という方が社殿を造営し、近江国比叡山(滋賀県)の日吉神社から分霊を勧請したのが始まりとされているんだそうです。
宝珠上人って、前回ご紹介した「鷲子山上神社」を創建した方と同じ方ですね!
関連記事:栃木?茨城?県境にあるフクロウ神社【鷲子山上神社】に行ってみた!ぶらり寺社巡り
まあ、距離もそんなに離れてないしなw
そして、こちらの神社は、古来より権力者から手厚い保護を受けてきた神社だそうで、調べてみるとこんな感じ。
平安時代の武将「坂上田村麿」 | 多宝塔を建立 |
源頼義・義家 | 御宝刀を奉納 |
常陸国(茨城県)を治めた一族「佐竹氏」 | 神領1,200石を寄進 |
三代将軍 徳川家光 | 社領24石を寄進 |
メンツやべえwww
そして、その長ーーーい歴史も去ることながら、こちらの神社にはもうひとつ「有名なもの」があるんです!
それがこちら!
2. 磯出大祭礼
出典:Youtubeからのキャプチャ
「磯出大祭礼」とは、西金砂神社・東金砂神社合同で行われる神事のことで、日本一「開催間隔」が長いお祭りとして有名なんです!
開催のスパンはと言いますと…
なんと!72年ごと!!( ºωº ; )
下手すりゃ人生の長さじゃんwwwww
寿命そのものじゃんwwwww
なので「二度見る者は稀である」とも言われているんだとかw
よっぽど産まれるタイミングが合わないと、確かに二度は見られねえわwww
このお祭りでは、両神社の氏子約500人が神輿と共に行列をなし、1週間かけて日立市水木浜までの約75kmを往復するとのこと!
つまり、動きにくい正装、かつ草履や下駄を履いて、1日10km以上。
それを1週間歩き続けるってことだよねえ…(´・ω・`)
んもう、聞いただけで疲・労・困・憊☆
そしてこのお祭り、何よりすごいのは、最初に開催された約1200年前の仁寿元年(851年)以来、一度も欠かさず開催され、前回2003年の開催で17回目だったそうです!
1200年の間に、まだ17回目ってのもすげえなw
ところで、なんで「72年周期」なんでしょうねー?(・ω・)
てかね?
僕、前回開催の時に一度親に連れられて観に行った記憶があるんですよね。
でも当時、神社や神事に興味とか皆無だったので、薄ーーーらぼんやりしか覚えてないっていうw
今回参拝するにあたり、この神社について調べてて、
あ、行ってたわ自分!
みたいなw
当時はもちろん神社には行かなかったし、
「あー、そう言えば、袴っぽい服を着た人たちの行列を見たなー」
程度にしか覚えてねえ!!www
だってまさか、神社や仏閣のブログを書くなんて全く思ってもみなかったんだもんw
ああー、もったいないことしちゃったよね…(^ω^;)
次回の開催は2075年だそうなので、皆さんも是非行ってみてね☆
僕も行ってみたいと思います!!
(生きてればw)
なお、こちらのお祭りは、国の選択無形民俗文化財、茨城県指定無形民俗文化財にも指定されているそうですよ~(^ω^)
3. 御祭神
東金砂神社の御祭神は「大己貴命/オオナムチノミコト」と「少彦名命/スクナヒコナノミコト」の2柱になります。
大己貴命/オオナムチノミコト | 別名:大国主神/オオクニヌシノカミ 国造りを行った神様。 |
少彦名命/スクナヒコナノミコト | 大己貴命と共に、国造りを行った小さな神様。 一寸法師のモデルでもある。 |
御由緒に「滋賀県にある日吉神社の御祭神を勧請した」ってありましたけど、日吉神社は西本宮に「大己貴命」が、東本宮に「大山咋神/オオヤマクイノカミ」が御祭神として祀られているんですよ。
なので、僕はてっきり西金砂神社のほうに「大山咋神」が祀られてんのかなとか思ってたんですけど、どうやら西金砂神社の御祭神は「大己貴命」「少彦名命」「国常立命」の三柱だそうです。
あれ?(´・ω・`)
オオヤマクイどこいった?w
もしかすると、1200年前当時は、日吉神社にはオオナムチしか祀られていなかったとか?
なのかな…?(^ω^;)
4. アクセス
東金砂神社へのアクセスですが、結論から言うと…
んもう、車でしか無理ぃ…(›´ω`‹ )
です!!w
細い山道を通って行くので、もちろん神社前にバス停とかございませんw
おおよその目印としては、県道33号線沿いに「竜神大吊橋」という、歩行者専用としては「日本最大級」の長さを誇る吊橋があるんですけど、
その2km手前に、大きな赤い鳥居が建っています。
その鳥居から車で入って、約4km先が目的の神社になります。
まあ、神社までの道がどういう感じかと言いますとですね…
はい!
こんなんですw
つ、つらたんwww(タイトル回収)
道幅も狭いし、車1台がやっと通れる山道をひたすら走っていく感じ(^ω^;)
大きな車だと結構大変ですねー多分w
僕は今回こっちの道から来ちゃいましたが、別ルートもあるみたいなんで、そっちからのほうが楽かもしんないです。
で、山道を進んでいくと、山道に突如木造の鳥居が現れ…
その先にひらけた空間が!!
やっとこさ、到着ううううううっ!!o(゚∀゚)o
こちらが東金砂神社の「鳥居」になります!
5. 鳥居
えーと、ここに来るまでふたつ鳥居をくぐっているので、これは三の鳥居ってことになるのかな?σ( 'ω' )
鳥居の左側にはこちらの「忠魂之碑」と書かれた碑がありました。
碑を見ると、この地域出身の方で、戦地で亡くなられた68名の名前が刻まれていました。
「戦争」って言うと、広島・長崎への原爆投下や東京大空襲がパッと出てきますが、地方の小さな町であっても、戦争によって命を失われた方々がいるってことに改めて気づかされますね。
ところで皆さん!
「忠魂碑」と「慰霊碑」の違いって分かりますか?(^ω^)
建立される目的は同じなんですが、慰霊する対象が違うんですよね。
ざっくり説明すると…
忠魂碑 | 戦争で戦死した、その地域出身の兵士の慰霊のために建てられる碑。 忠魂とは、戦死者の天皇への忠義を称えるという意味。 |
慰霊碑、鎮魂碑 | 事故や戦争、災害などで亡くなった方の霊を慰めるために建てられる碑。 |
みたいな感じ。
忠魂碑は戦争で亡くなった兵士に対する慰霊、慰霊碑は戦争に限らずその出来事によって亡くなった方に対する慰霊なんですね。
なにげに混同しがちかな?と思って、ちょろっと書いてみました(^ω^)
さて、鳥居をくぐって先ずは手水をしようとしたのですが、
えー、結論から言うと…
手水が出来ませんでした(^ω^;)
水口(みなくち)から水が出ていなくて、手水鉢に溜まってる水も奇麗じゃなかったんですよね…
地方にある神社あるあるですわw
仕方ないので、そのまま参道へ。
いやあ、こういう緑が多い静かな参道、いいですよねー(^ω^)
都内や市街地では、なかなか味わえない心地よさ♪
参道をしばらく歩いていくと、石段と建物が見えてきました。
6. 仁王門
こちらが「仁王門」になります!
もうね、パッと見た瞬間、
あ、ここは神仏習合だった場所だわ!( 'ω' )
って思いましたw
だって、お寺っぽさがハンパないしw
気になって調べてみたところ、どうやらこの境内には「東清寺」というお寺があったんだとか。
また、地元に伝わる話では、西金砂神社が鎮座する西の山を「神の山」、現在東金砂神社が鎮座する東の山を「仏の山」と言っていたそうな。
これはもう限りなく黒ですね!!(`・ω・´)+
現在神社という形式を取っているのは、やっぱり明治の神仏分離・廃仏毀釈の影響なんですかね?
因みにここの仁王像、顔がめっちゃ怖かったですw
さて、仁王門をくぐって石段を登っていくと、次に見えてくるのがこちら!
7. 田楽堂
一瞬社殿に着いたかと思いきや、こちらは「田楽堂/でんがくどう」という建物になります。
ま、紛らわしいwwwww
あ、一応言っておきますが、田楽といっても、これじゃないですよ?w
田楽とは、田の神を祀り、農夫の苦労を慰め、豊作を祈願する儀式のこと。
つまり、食いものではなく神事ですw
田楽は平安時代に第66代天皇の后:藤原彰子に田植えを披露する際、歌や舞を演じたことに由来するそうで、こちらの神社の「田楽舞」は茨城県指定無形文化財に指定されています。
さて、田楽堂の左側の石段をさらに登っていくと、
石段の中間地点が踊り場のような開けた場所になっていました。
先ず一番目を引くのが、こちらの「つりがね堂」です。
つまり鐘楼ですね(^ω^)
あー、もう、
「昔は寺でした」確定じゃんwwwww
そして、つりがね堂の左手にはこちらの「針供養塔」がありました。
針供養ってのは、折れた針や錆びた針の供養を目的とした碑ですね。
碑に掛かれている「淡島明神」とは、「淡島神/アワシマノカミ」という裁縫上達の神様だそうで、他にも婦人病治癒、安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に対して霊験のある神様なんだそうです。
また、ここには他にも、たくさん境内社が置かれていました。
さらに上に続く石段を登っていくと、
おおっ!
やっと社殿が見えてきました!!(゚∀゚)
8. 社殿
はい!こちらが東金砂神社の「社殿」になります!
神社の社紋は、常陸国(現在の茨城県)を治めた一族:佐竹氏の家紋「五本骨扇」ですね( 'ω' )
以前記事でご紹介した「佐竹寺」も同じ紋でした。
関連記事:500年前の旧国宝がすごい!茨城県常陸太田市【佐竹寺】行ってみた!ぶらり寺社巡り
家紋がいくつもの神社仏閣の紋になるくらいなので、佐竹氏の権力ってさぞ凄かったんでしょうねー(´°д°`)
裏に回るとなんとも立派な「本殿」があり、
本殿の左手に熊野社・足尾社、
右手に秋葉社・白山社の境内社が置かれていました。
で、何気に面白かったのがコレ!w
フライング宮司wwwwwww
アクセスの項目でも書きましたが、近くに「竜神大吊橋」があり、バンジージャンプが出来るんですよw
どうやらこれは竜神大吊橋で鳥になった時の宮司さんの写真のようですw
しかも正装でw
近頃の神職って、体張ってますねwwwww
お努めご苦労様でっす!!w
因みにこの写真に掛かれた宮司さんからのメッセージによると、
竜神バンジージャンプ シーズンスタート安全祈願にて 皆様 安心して翔んで下さい |
だそうなので皆さん!
大吊橋にお越しの際は、安心して鳥になってくださいね!w
僕は高所が超苦手なので、やったことはないし、これからもやらないですけどw
さて、最後に御朱印を頂きに、社務所へ向かいます。
9. 御朱印
こちらが、東金砂神社で頂いた「御朱印」になります!
御祭神が大黒天と同一視されている神様なので、御朱印にも大黒天があしらわれているみたいですね(^ω^)
てか実はですねー、この御朱印、残念ながら印刷なんですよ。
社務所は石段を降りた一番下(麓)にあるのですが、
社務所へ着いてみてビックリ!
御朱印がテイクフリーでダイレクトに置かれていましたw
フリーペーパー的なwwwww
せっかくここまで来たら肉筆の御朱印を頂きたかったところですが、まあ、無料で頂けるというのはありがたいですよね!(^ω^)
てか、西金砂神社の御朱印も、テイクフリーなのだろうか?w
以上、今回は茨城県常陸太田市「東金砂神社」をご紹介しました!
自然に囲まれた歴史のある神社ですし、観光神社ではないので、ゆっくり神社の雰囲気を感じたり、静かに参拝したい方にオススメだと思います!
まあ、山の中にある神社なので、行くまではそれなりに大変ですが(^ω^;)
僕が行ったときも他に参拝者はいませんでしたし、ゆっくりとお参りすることが出来ました!
皆さんも是非、行かれた際には「フライング宮司」をチェックしてみてくださいねwww
↑そこ!?w
ではまたー!
東金砂神社
〒313-0351 茨城県常陸太田市天下野町9740
TEL:0294-85-1638