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本能寺の変・忠臣蔵に縁が深いお寺!長野【法華寺】行ってみた!ぶらり寺社巡り~信州長野編~

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こんにちは!
つらたんです。

いよいよ今年も終わっちまいますねー!

いやあ、早い早い(^ω^;)

20代の時もあっという間だなあとか思ってましたけど、30代になったらさらに時間の流れが早くて、

えっ、もう今年終わんの!?

って感じですw

しかも、自己紹介にも書いているように、僕は12月25日生まれなので、数日前にひとつオッサンになっちゃったし…

(´・ω・`)アーヤダヤダ

年末年始は地元に帰省する予定なので、今まで行ったことのない茨城の神社やお寺に行ってみようと思ってます♪(^ω^)

こんな時にしか行けないですからねw

 

さて、長野旅の記事もついにラスト!

今回は長野にある「法華寺/ほっけじ」をご紹介したいと思います!

あまり有名なお寺ではないので、

なんぞそれ?(´・ω・`)

って思われるかも知れませんが、こちらのお寺は長野に行くっていう記事を書いたときに、読者の方からコメントで教えてもらったお寺でして、なんと!

忠臣蔵で有名な「吉良上野介/きらこうずのすけ」の孫「吉良義周/きらよしちか」のお墓があるお寺なんです!

また、かの有名な「本能寺の変」にもかかわる舞台となった場所でもあります。

以前、赤穂浪士のお墓がある港区「泉岳寺」を参拝し記事に書いたことがあったので、これは行かねば!ということでこの度行って参りました!

泉岳寺をはじめ、忠臣蔵や赤穂事件については以下の記事に詳しく書いているので、良かったら下記リンクからどうぞ。
関連記事:忠臣蔵の登場人物が眠るお寺!港区【泉岳寺】行ってみた!ぶらり寺社巡り

さて、それでは詳しく書いていきたいと思います。




1. 法華寺の御由緒

法華寺とは?

比叡山の開祖である「伝教大師」が、弘仁6年(815年)に開山したと伝えられるお寺です。

元々は天台宗のお寺でしたが、鎌倉時代に臨済宗に改められたそうです。

諏訪大社上社の神宮寺でもあり、昔はかなり栄えていたそうですが、明治の廃仏毀釈によりなんと廃寺に…。

明治5年から約50年の間、神宮寺小学校の校舎として使われていましたが、新しい学校が移転した後に再興され、現在に至るそうです。

なんだかすごい波乱万丈なお寺ですねーw

確かに参拝した時は、

「結構新しめのお寺だなー」

という印象を受けたんですけど、まさか一時期廃寺になっていたとは…

法華寺が廃寺になる原因となった明治維新の「廃仏毀釈/はいぶつきしゃく」ですが、これは明治維新の神仏分離によって起こった仏教破壊(仏教を排斥し寺などを壊す、神道尊重、仏教軽視)する運動のことです。

なんて罰当たりな…(´・ω・`)

なんか日本で全国的に起こった運動とは思えないですよね。

日本人の持つ「死んだらみんな仏様」という概念はどこへ…?

って感じw

因みに、僕の地元である茨城(水戸藩)では廃仏の規模がめっちゃ大きかったらしく、徳川光圀(かの有名な水戸黄門)の指導によって、領内にある半分の寺が廃されたそうです。

はあー、なるほど!

それで茨城県って、有名な神社はあれど、有名なお寺ってないんですね。

調べてもいまいち知名度がなくてピンとこないんですよ、茨城にあるお寺ってw

御岩神社とか鹿島神宮とか歴史ある有名な神社は結構あるので、なんでかなあ…?と思っていたのですが、これで合点がいきましたw

2. 法華寺と本能寺の変

さて、少し歴史のお勉強をしましょうかw

織田信長が明智光秀に謀反を起こされたことで有名な「本能寺の変」。

実は、光秀が謀反を起こす理由のひとつが、この法華寺で起こったトラブルだと言われています。

どういう事か簡単に説明しますと…

天正10年(1582年)3月に「甲州征伐/こうしゅうせいばつ」という合戦があり、織田信長とその同盟者だった徳川家康が、武田勝頼をはじめとする武田一族を攻め滅ぼしました。

その際、織田信長が家康を含む多くの武将を引き連れて本陣を置いたのが、ここ「法華寺」でした。

武田家を滅亡させた信長は、本陣を置く法華寺で論功行賞(手柄の有無・大小によって、それに応じた賞を与えること)を行ったのですが、その際、信長の家臣だった明智光秀が、

「あー、今回の武田討伐はマジで骨が折れたわー」

みたいなことを発言。

その言葉を聞いた信長は、

「オレひとりで武田を滅ぼせたわけじゃん、すごくね?(ドヤア」

と解釈し、激おこ!

「お前ごときが一体何したっちゅうんじゃい!」

と、信長は武将たちの前で光秀をボッコボコにw

多くの武将たちの前で辱めを受けた光秀、この時の恨みが本能寺で謀反を起こすきっかけのひとつになったと言われてるそうです。

そして、信長は同年6月、光秀に裏切られ、本能寺の変によって命を落とします。

まあ、織田陣営は武田討伐の際に、武田家と縁の深かった「諏訪大社 上社本宮」の焼き討ちとかやっちゃってるんで、個人的には、

「神罰が下ったのでは?」

とか密かに思ってるんですけどねw

てか、織田さん神社燃やすなし…

3. 法華寺と赤穂事件

法華寺には、忠臣蔵や赤穂事件で有名な吉良上野介の孫「吉良義周/きらよしちか」のお墓があります。

なぜ諏訪に吉良のお墓が?

と思われる方もいると思うので、ちょっと経緯を書きますと…

吉良義周は、貞享3年(1686年)2月、吉良上野介の長男である上杉綱憲の次男として誕生。

しかし、吉良上野介との関係がちょっと複雑でして。

吉良義周は吉良上野介の長男の子供なので、吉良上野介にとって本来外孫にあたるのですが、5歳の時に吉良家の跡取りとして吉良上野介の養子に入ります。

つまり、養子縁組によって孫から息子になったわけですねw

上野介の跡取りとして吉良家を継いだ翌年、義周は赤穂義士による吉良邸討ち入りに遭遇し、自身も傷を負ったりするのですが、幕府から、

なんかさあ、お前働きが武士らしくなかったよねー(*´・ω・)(・ω・`*)ネー

と難癖っぽいものをつけられ、なんと領地を召し上げられた上に諏訪へ流刑。←ひどいw

義周は諏訪の地で軟禁生活を強いられることに。←これもひどいw

そして、3年後の宝永3年(1706年)、軟禁されたまま、21歳という若さで病気で亡くなったという悲劇の方です。

死後、遺体は塩漬けにして防腐処理が施され、幕府の検死を受けた後、ここ「法華寺」に埋葬されたそうです。

ぶっちゃけトバッチリだよねえ…(´・ω・`)

赤穂事件に関係が深いかと言えば、外孫だし、養子だし、まだ若いのにさあ…

赤穂事件の罪を、吉良家の当主として全て被ったみたいな。

そして、義周の死によって、吉良家は終わりを迎えたわけです。

4. 法華寺へのアクセス

さて、法華寺へのアクセスですが、位置的にはなんと諏訪大社 上社本宮のすぐお隣!

諏訪大社の駐車場がある表参道側の鳥居の横に坂道があり、そこからもう法華寺が見えます。

諏訪大社にはたくさん人が来てたけど、このお寺に寄る方は少ないみたいで、参拝した時も全く人がいませんでした。

5. 山門

細い坂道を上ると最初に見えてくるのが、こちらの赤い山門。

こちらの山門は昭和6年の建造だそうで、、観音菩薩像が安置されているそうです。

以前の山門は明治18年に諏訪市豊田の極楽寺に売却され、極楽寺には当時の山門が残っているとのこと。

明治の廃寺の折に売却されたってことかな?(=゚ω゚)

実は法華寺、平成11年(1999年)7月、放火によって本堂などが焼失してしまったのですが、この山門だけは火災を逃れ、現在も残っているそうです。

てか、放火はもちろん絶対ダメだけど、よりにもよってお寺に放火とか何考えてんでしょうねー(´Д`)

アホかと。

6. 本堂

こちらが法華寺の本堂となります!

放火により焼失し、再建されたのは平成17年とのこと。

結構最近!!( ºωº ; )

それ以前の本堂は、明和2年(1765年)に建てられたものだったそうです。

なんともったいない…(´-ω-`; )

また、県宝に指定されていた鎌倉時代 永年2年(1294年)造立の釈迦三尊像も燃えてしまったんだとか…

ほんと波乱万丈…

7. 大黒堂

境内には、こちらの大黒天が祀られていました。

諏訪湖畔七福神巡りのひとつだそうです。

8. 吉良義周の墓

さあ、いよいよ吉良義周のお墓に向かいます!

お墓は本堂の裏山にあるので、本堂左手にある細い階段を登って行きます。

裏庭と言っても、お墓までは50m程なので、歩いて1分かからない程度の距離です。

細い道を歩いて行くと…

おおっ、ありました!(゚∀゚)

こちらが「吉良義周公のお墓」です!

墓石は自然石で造られており、かつて幕府内で高い地位に君臨した吉良家当主の墓とは思えないほど質素な感じでした。

また、お墓の場所も静寂に包まれており、なにか物悲しい雰囲気…(´・ω・`)

当時、いかに吉良家の地位が落ちたかを思わせる、そんなお墓でした。

手を合わせ、ご挨拶をさせて頂いたのですが、いやはや大失敗!

その場で、

線香忘れたあああああああああ!Σ(゚д゚ ; )

と、ここで気付くというw

もっと早く気付けや、自分w

9. 法華寺の御朱印

こちらが、法華寺で頂いた御朱印となります!

最初呼び鈴ならしても誰も出てこなくて、

あれー?(´・ω・`)

とか思いながら境内をウロウロしてたんですが、ご住職が外にいらっしゃったようでバッタリw

この機を逃すまいと御朱印をお願いしました。

東京から来たことや、赤穂義士のお墓がある泉岳寺に先日行ったこと、吉良のお墓を訪ねて来たことなどをお話したら、ご住職が思いのほか食いつきましてw

浅野と吉良の「どっちが悪い論」について、外で15分ほど熱い議論を交わしましたw

寒い中、外で何やってんだ、僕らwwwww

でも、とても気さくなご住職で、良い時間を過ごせました!(^ω^)

法華寺の住職さん、その節はありがとうございました!

あっ、御朱印の初穂料は300円でしたw




以上、今回は「法華寺」をご紹介しました!

これで長野旅の記事もラスト!

長野で訪れた神社仏閣を全て記事に出来ましたー(^ω^)

いやあ、善光寺も戸隠神社も諏訪大社も、大きなところばかりだったので、書くこと多いし写真も多くて大変でしたw

余すところなくご紹介できていればいいのですが…(^ω^;)

今回訪れた法華寺は、参拝者も少なく、そこまで有名なお寺ではないですが、日本史に残る出来事に縁も深いですし、織田信長や徳川家康も訪れたお寺ですので、歴史に触れることのできるお寺だと思います。

特に僕は、泉岳寺を参拝したこともあり、吉良家・浅野家両側から赤穂事件に触れることが出来て、とってもためになる参拝でした!( 'ω' )ノ

諏訪大社の本宮からめっちゃ近いので、お近くにお寄りの際は是非参拝してみてくださいね!

ではまたー!

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法華寺

〒392-0015 長野県諏訪市大字中洲神宮寺856
TEL:0266-52-3361

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