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忠臣蔵の登場人物が眠るお寺!港区【泉岳寺】行ってみた!ぶらり寺社巡り

更新日:

こんにちは!
つらたんです。

突然ですが、皆さん!(゚∀゚)

こんなワード、聞いたことありませんか?

  • 忠臣蔵 (ちゅうしんぐら)
  • 赤穂浪士/赤穂義士 (あこうろうし/あこうぎし)
  • 吉良上野介 (きらこうずのすけ)
  • 大石内蔵助 (おおいしくらのすけ)

恐らく詳しく知らない方でも、ひとつ位はどこかで聞いたことがあるんじゃないかと思います。

つー訳で今回は!

これらのワードに縁のあるお寺、
「泉岳寺/せんがくじ」をご紹介したいと思います!

泉岳寺は、赤穂義士が眠る菩提寺として有名で、

「それまでは ただの寺なり 泉岳寺」

という句が読まれちゃうくらい、赤穂浪士の事件がなければ、特になにもないただの禅寺だったと言われるほど!

そんなわけで、こちらのお寺もまつわる歴史を知ってると参拝時の楽しさ・考え方がひと味違いますので、今回も「東郷神社」と同じように、

まずは歴史のお勉強から!w




1. 赤穂事件と赤穂義士ってなんぞ?

さて、このお寺を有名にした事件があります。

それが「赤穂事件」です。

赤穂事件とは、元禄14年(1701年)3月、江戸城内の松の廊下で、赤穂藩の3代目藩主「浅野内匠頭長矩/あさの たくみのかみ ながのり」が、高家「吉良上野介義央/きら こうずのすけ よしひさ」に突然斬り掛かった事件

てか、昔の日本人はミドルネームがあったのだろうか?w

「浅野 長矩」「吉良 義央」で良くね?(´-ω-`; )

長いし、漢字ばっかで読みにくいんだけどw

話を戻して、浅野の斬り掛かり事件を知った時の将軍・徳川綱吉は激おこ!

浅野は即日切腹、赤穂藩にはお取りつぶしを命じたものの、斬り掛かった浅野に対して手向かいをしなかった吉良に対しては何もおとがめなし

その処分にブチ切れたのが、浅野の家臣でリーダーだった「大石内蔵助良雄/おおいし くらのすけ よしお」

大石を初めとする赤穂藩の藩士たち47名は密かに浅野の仇討ちを計画(彼らが赤穂義士、赤穂浪士と呼ばれる人たち)。

元禄15年(1703年)12月、47名の赤穂浪士が吉良の屋敷に侵入し、吉良の討ち取りに成功

主君であった浅野の仇討ちを果たした—–

という本当にあった事件です。

そして、大石内蔵助たち47人の赤穂義士は、浅野内匠頭が眠る泉岳寺の墓前に赴き、仇である吉良を討ち取ったことを報告。

その後、元禄16年(1703年)2月、47人の義士全員が幕府の命により切腹し、赤穂事件は幕を降ろしました。

実際は一人だけ生き残ってたり、討ち入り前に自害した赤穂義士が居たりするんですが、その辺りはGoogle先生にでも聞いてみてくださいw

2. 赤穂事件と忠臣蔵、違いはあるの?

さて、年末になると何時間もぶっこ抜きで「忠臣蔵」のドラマが放映されたりしますが、ここに間違いやすい落とし穴が!( ºωº ; )

「赤穂事件 = 忠臣蔵」と捉えている方もいるかも知れませんが、実はイコールではないんですよ。

忠臣蔵は、文楽や歌舞伎の演目であって、赤穂事件を基に脚色された創作作品なんですねー( ´ω` )

ノンフィクションを題材にしたフィクションって感じ?(´・ω・`)

つまり、赤穂事件は殺人事件の名称。
忠臣蔵は、エンターテイメントの演目プログラム。

全然重さが違いますw

はい、ここテストに出まーす( ‘ω’ )ノ

浅野が吉良に斬りかかった理由は不明らしいのですが、

( ´-` ).。oO (そりゃアンタ、事情聴取もされず、即日切腹じゃ真相なんて分からんわな)

ドラマ・映画では、吉良から要求された賄賂を浅野が拒否。

その事で吉良が浅野に嫌がらせをし、ブチ切れた浅野が斬り掛かるという形で描かれることが多いみたいですね。

いい大人に殺したいほどの憎しみを抱かせる嫌がらせって…w

吉良さんめっちゃ性格悪りーなw

3. 泉岳寺の御由緒

話は変わって、今回参拝をした「泉岳寺」についても書いていきます。

ご本尊は釈迦如来。

泉岳寺の創建は慶長17年(1612年)に、門庵宗関和尚(もんなんそうかんおしょう)を拝請し、徳川家康が江戸城の外桜田に創立したのが始まりだそうです。

うん、ここまでは普通だよね( ‘ω’ )

ではなぜ、赤穂事件と泉岳寺は関係があるのか?

それが、寛永18年(1641年)に起こった「寛永の大火」によって、お寺が焼失したことにありました。

時の三代将軍家光が、泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名にお寺の復興を命じ、泉岳寺は再建。

浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のもので、赤穂藩主浅野家の菩提寺として今もお寺には、浅野内匠頭をはじめとする、赤穂義士47名のお墓が残されています。

義士達が切腹した後、直ちに浅野の眠る泉岳寺に埋葬されたそうです。

因みに義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことに世間から批判が集中!慌てて売り飛ばした品を買い戻しに走ったことがあるらしいwww

坊さんwwwww

SNSのない時代から炎上先取りかよwwwww

4. 泉岳寺へのアクセス

泉岳寺へのアクセスですが、都営地下鉄・京急急行電鉄 泉岳寺駅が便利!

A2出口を出ると、すぐ右手に先にもうお寺が見えます。

この駅には4つ出口があるんですけど、別の出口から出ちゃうと遠回りになってしまうので注意してくださいね(^ω^)

因みに自分、出口間違えて5分位歩く羽目になりますた…(´・ω・`)

5. 泉岳寺 中門

まず最初に目に飛び込んでくるのがこちらの中門です。

てか、中門があるお寺って珍しい気がする。

ほとんどは山門のみのお寺が多いですよね( ‘ω’ )

この中門は天保7年(1836年)に再建されたものとのこと。

以前は、総門・中門・山門と3つの門があったそうですが、現在は中門と山門のみが残っています。

6. 泉岳寺 山門

山門をくぐると正面に山門が見えてきます。

なかなか渋くて、歴史を感じる大きな山門ですねー!(゚∀゚)

泉岳寺の山門は、天保三年(1832年)に再建されたもので、1階の天井には「江戸三龍」のひとつである「銅彫大蟠龍」が、2階には十六羅漢が安置されているそうです。

7. 大石内蔵助吉雄銅像

山門の右側には「大石内蔵助吉雄」の銅像が建っていました。

本当にこんな顔していたんだろうか?w

時代的に写真が残っていないので、たぶん実際は全く違う顔していた気がするけどw

 

さて、山門は木の柵が置かれていてくぐれないので、右側の境内入口から本堂に向かいます。

おお、本堂が見えてきました!( ・∀・)

8. 泉岳寺 本堂

こちらが泉岳寺の本堂となります!

結構見た目が古く歴史がありそうな本堂ですが、実は現在の本堂は昭和28年に再建されたものなんだって。

旧本堂は第二次世界大戦の空襲で焼失してしまったそうです。

またかあ…(´-ω-`; )

内部には大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められているとのこと。

本堂正面に掲げられている「獅子吼」の額は「ししく」と読み、お釈迦様の説法のことを指すそうです。

そう言えばこちらのお寺、手水舎が見当たらなかったんですよね。

これだけ有名で人も結構来るお寺なのに、手水舎がないとは珍しい…

単に見落としただけかなー?

普通なら見落とすはずないんだけどなー?(´・ω・`)

9. 澤木興道 老師像

本堂の左手には、誰だか分かんないおじさんの像がありました。

説明によると、

「仏法の究極である坐禅をもって生涯を貫いた20世紀にもっとも活躍した禅僧の一人です。」

とのこと。

20世紀生まれですが、知りませんでしたw

 

本堂を参拝した後はいよいよ「赤穂義士の墓所」へ向かいます!

10. 史跡 赤穂義士墓所 入口の門

境内に入って左手にあるのが、国指定の史跡にも指定されている「赤穂義士」の墓所です。

手前には石柱と参道があり、奥には墓所入口の門があります。

奥に見える門は、浅野家の上屋敷の裏門だったもので、明治時代に移築されたものだそうです。

また、写真の左手には赤穂義士記念館(大人一人500円)がありますが、この日はもう閉館してました。

この参道脇には、赤穂義士に縁のあるものがいくつかあるので、詳しく紹介していきます。

 

11. 水琴窟 (すいきんくつ)

先ず赤穂義士の石柱すぐ右手にあるのが、この水琴窟。

水琴窟とは、手水鉢やつくばいの水を利用し、地中に伏せた水瓶(みずがめ)の空洞に滴り落ちる水が反響して、琴の音色のように聞こえるようにした装置のこと。

江戸時代の庭師が考案したと言われているそうです。

実際に柄杓で水を流してみましたが、琴の音色というより「普通に瓶に水を注いだ音」でしたw

僕の感性が残念なのか!?w

12. 主税の梅 (ちからのうめ)

山道脇に生えている梅の木がいくつかあるのですが、その内のひとつがこの「主税の梅」。

大石主税(おおいしちから)は、大石内蔵助の長男で、最年少の赤穂義士のひとりでした。

切腹により16歳でこの世を去っていますが、この梅の木は切腹をした松平の屋敷に植えられていた梅だそうです。

16歳…

人生これからじゃねーか!(´;ω;`)ブワッ

13. 遥池梅 (ようちばい)

こちらの梅の木は、赤穂義士の墓守をした尼さんが、瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したものだそうです。

14. 血染の石と血染の梅

さて、なんだか禍々しくなってきましたw

この石と梅は、浅野内匠頭が切腹した田村邸にあったものだそうです。

浅野が田村邸の庭先で切腹した際、その血がかかったと伝えられているそうです。

今でも血痕検査したら、ルミノール反応出んのかな?( ゚д゚)

とか思ってみたりw

15. 首洗いの井戸

はい!

これまた、いわく付きですねーw

この井戸は、吉良上野介義央の首を洗ったと言われている井戸です。

この井戸で洗った吉良の首を、主君である浅野の墓前に供えて報告したそうです。

だから「首洗い井戸」と呼ばれてるんですねー( ºωº ; )

名付けセンスがいかにも「江戸」って感じw

その他、参道脇には供養碑などがいくつか建てられていました。

 

16. 浅野内匠頭の墓

こちらが、事件の発端となった赤穂藩 藩主:浅野内匠頭長矩のお墓です。

さすが藩主!(´°д°`)

かなり立派なお墓でした!

まあ、大名家ですからね。当たり前かw

17. 浅野内匠頭 奥方の墓

浅野内匠頭長矩のお墓の手前右手には、浅野の奥さんのお墓もありました。

18. 四十七士(赤穂義士)の墓

こちらが赤穂義士のお墓です。

誰がどこに眠ってるのかこれだと分かりませんが、きちんとお墓の前に「義士墓解説」が置かれているのでご安心を!

これでどこに誰が眠られているのか分かります。

スマホで写真を撮って、見ながら回ると分かり易いかも。

てか、やっぱり昔のお墓って感じですね!

僕が栃木の本家で見た江戸時代~明治初期のお墓も、こんな形と材質してました( ‘ω’ )

19. 大石内蔵助良雄のお墓

こちらが赤穂義士のリーダー:大石内蔵助のお墓となります。

やっぱり他の義士のお墓と比べると立派で、まさかの屋根付き!

てか、お供えされているお酒が日本酒じゃなくて西洋のお酒だったので、ちょっと違和感がw

因みに、同敷地内のちょっと離れた場所には息子である「大石主税」のお墓もありました。

20. 泉岳寺 寺務所

一通り墓所を回って来たので、境内に戻り寺務所で御朱印を頂きます。

こちらが泉岳寺の寺務所で、本堂の右側にあります。

そして寺務所の横には、写経処と書かれた一角がw

ここで書くん…?(´・ω・`)

参拝客が行ったり来たりしてるので、個人的には集中できないかもw

因みに、こちらとは別に山門の近くにも「御守り・御札 受処」があるのですが、境内にある寺務所でも御札や御守りを頂けます。

21. 泉岳寺の御朱印

こちらが泉岳寺で頂いた御朱印です!

右が頂いた御朱印で、左が見本となります。

達筆すぎて読めねえw

なので、寺務所に貼られていた御朱印見本を撮影し、画像の左に見本を載せときましたw

ふむ。

「本尊釈迦如来」って書かれてたんですねwww

頂いた御朱印では、お寺の名前すら僕には判読不能でしたw

22. 泉岳寺の御札・御守り

こちらが泉岳寺で頂ける御札と御守りになります。

実物の見本があったんですが、上のほうに飾られていて写真を撮ろうにも反射でうまく摂れなかったので、こちらを写メってきました。

摩利支天絡みの授与物がほとんどみたいですね。




以上、今回は「泉岳寺」をご紹介しました!

有名な「忠臣蔵」に縁のあるお寺ですし、歴史に直に触れることの出来る体験が出来るお寺でした!

赤穂義士記念館に入らなくても、義士のお墓や当時の梅や井戸が見れるので、僕的にはそれで充分かな。

ちょっと禍々しいけどw

興味がある方や日本史が好きな方、忠臣蔵が好きな方は、記念館に行ってみるのもいいと思いますよ!(^ω^)

ではまたー!

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泉岳寺
〒108-0074 東京都港区高輪2-11-1
TEL:03-3441-5560

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